雨
雨が降っていると女はいうのだが、開け放たれた障子の向こうに見える夜空にはいくつか薄く筋のような雲が浮んでいるだけで、雨雲など何処にもなく当然ながら雨など一滴も降ってはいない。私は俯き加減で給仕を続ける女の半襟から覗く白い項を見るとはなしに見ながら、雨など降ってはいないといい返すのだが、女は私の言葉がまるで聞こえない様子で「ほら、雨音が」などと相変らず俯いたまま酒を注ぐ。ぐつぐつと煮える牛鍋に箸をつけるのは私だけで、ともすればちぎり蒟蒻の山に埋もれがちになる紅色の肉を返す私の箸の鈍色をした箸先さえ女は見てはいない。「このような風情の雨はなんと申し上げればよいのでしょうか。ざぁざぁでもなく、しとしとでもなく」いやだから雨音などまったくしはしないし、障子の外に見える庭木を濡らすものは何もなく、雨など決して降ってはいないのだ。女は相変らずこちらを見ようとはせず酒を注ぎながら「お帰りの際には傘を」という。私はそんな女の長く伸びた睫を見ながら、はてこの家は私の家の筈ではなかったかと思うのだがどうしたわけだか判然としない。いや、判然としない筈はなく、この家は間違いなく私自身の家で、違い棚に置かれたあの皿はいつだか古市で見つけた古伊万里で、いやいや実のところ古伊万里に似せたまったくの贋物で、まったく何の値打ちもない。「なかなか心地のよい雨音ですわね」いやだから雨などまったく降ってはいないし、雨音など聞こえはしない。聞こえるのは牛鍋がぐつぐつと煮える音だけで、それ以外は虫の聲一つしないまったく静寂だというくらいで、そう気づいてみればそれはそれで不気味というべきかもしれず、耳をそばだててみるのだが、牛鍋が煮える音以外は物音一つしない。空いた杯に女が酒を注ぐ。その白く長い指先を見つめながら、そういえばこの女は私の妻なのだろうか、愛人なのだろうか、それともまったくの他人、例えば先日亡くなった友人の妻であったりするののだろうか。と、しきりに思い出そうとするのだが、これもまた判然としない。あるいはこの女は私の母かもしれず娘かもしれず妹かもしれなかった。「ほら、雨が降っていますわ。このところ毎晩雨」と女は膳にとっくりを片付けながらいう。鍋を覗くとすっかり肉はなくなっていて煮込まれ色づいたちぎり蒟蒻だけが鍋の中で山をつくっていた。「ほら」と女はまた口を開いたが、今度は雨が降っているとは言わず、そのまま動きを止めてほんの僅か私の方を見遣った。その女の眸に、私が映り込んでいる。ああ、そうだ。雨は降っているのだ。雨音はしない。庭木を濡らす雨粒もない。けれども、確かに雨は降っているのだ。