金魚ミキサー

 2007/02/05

 露店で僕が釣った金魚を、きみは他に適当な容れ物がないからと、ミキサーのなかにいれた。滅多に使うことのないミキサーは当然電源がはいっておらず、長細い容器のなかをゆらゆらと金魚が上下する様は幻想的ですらあったのだけれど、底部で時折燦めく刃が、どうしても残酷な想像をさせて、そのことを冗談めいて口にすると、きみは「前にこのミキサーで煮干しを砕いてふりかけにしたことがあったし、金魚のミックスジュースってのも案外美味しいかもしれないじゃない」とまじめな顔して小首を傾げて、その口調が本気なのか冗談なのか僕にはわからず、続けて「ちょっと試してみる?」なんていうから慌てて首を振ると、「つい昨日、小アジの南蛮漬けを、美味しい美味しいって頭からバリバリ食べてたじゃないの」と、その言葉が本気なのか、からかってのことなのかが、相変わらずわからずに僕は曖昧な微笑みを浮かべる。
 次の日のお昼前にもぞもぞ起き出して、朝昼兼用のご飯を食べようと、炊飯器を開けると、なかで金魚が泰然と泳いでいた。思わず僕はギョっとして、いや金魚だけにギョっとだなんていう洒落ではなしに、そんなに驚いてしまったのは、両手にしゃもじとお茶碗を持って、今にも金魚をよそってしまいそうだったからだ。
 びっくりして固まっている僕の背中にきみは悠然と、「ご飯ならもう全部食べちゃったわよ」と、いって、僕が、いやご飯じゃなしに金魚なんだ、というと、「金魚食べちゃうの? 昨日はいやがったのに」とまた冗談とも本気ともつかぬ口調でいって、いや、そうじゃなくて、なんでこんなところに金魚が、といささか金魚めいて口をパクパクさせていうと、「金魚だって、気分転換したいでしょ?」ときみは当然のようにいった。
 その後何日か、金魚の気分転換は続いて、ある時は薬缶のなかにいたり、ある時は圧力鍋のなかにいたりして、そのつど僕を驚かした。何故だか金魚が台所周りを離れなかったのは、きみが食い意地の張った食いしん坊で、いつだったか焼き肉を食べにいった時に「牧場で、草をはむはむと食べてる牛を見たって、『あ、食べ物だ』とは思わないし、こうやって肉をジュージュー焼いていても、牧場ではむはむ草を食べてる牛は思い浮かばないのに、牛乳を飲んでるときには時々牧場の光景が浮かんでくるよね。牛さん美味しい」なんてことを平気でいうところがあるから、あるいは本当に金魚を食べちゃうことを考えていたからなのかもしれない。
 でもきみは金魚を食べてはしまわずに、四日目くらいには小さな金魚には不釣り合いな大きな水槽をどこからか持ち込んで、ただ一匹ゆらゆらと泳ぐのを楽しそうに眺め、「金魚って満腹がわからないから、エサあげるとあげるだけ食べちゃって、すぐに死んじゃうだって、私みたいだね」とそんなことをいったのだけれど、僕がいつも側にいて、きみの食べ過ぎを注意してあげたから、きみは食べ過ぎでお腹を脹らませる前に、僕の子どもを孕んで、お腹を脹らませた。

 妊娠したきみは以前にも増して旺盛に食べるようになり、「中国じゃ、堕胎した胎児をご馳走として食べるところあるんですって。やっぱり母親が美味しいものを食べてると、美味しい胎児になるのかな」なんていう思わず卒倒しそうになることを平気でいって僕を困惑させたのだけれど、「堕ろして食べてみる」とは当然いわずに、僕らの子どもは無事に産まれて、きみがはりきって美味しいものばかり作るもんだから、幼稚園にあがるころにはちょっと太り気味のなんだかまあるい子になった。

 ある晩、寝室で子どもを寝かしつけていたきみは、子どもの寝顔をそっと覗き込む僕に気がつくと、「そろそろ食べ頃かしらね」といって、相変わらずそれが本気が冗談だかわからない僕は、子どもの頭を優しく撫でつけるきみを見ながら、そういえばあの金魚はいつ頃いなくなったのだろうか、とそんなことを考えていた。