雨が降る前の出来事 04/5/15


 黒い喪服の女が五六人連れだって歩いていた。何か落ち着かない気持ちがして顔を伏せると、路地の反対に、一体何がいたら面白いだろうかとそんなことを考えながらどぼとぼと歩いていた。黒い猫がいて、ではあまりにありきたりだし、市松人形を抱えた車椅子の老婆がいた、ではあまりに奇抜すぎだ。シネフレンズ西陣の前までくると相変らず出演者募集中の張り紙がしてあった。喰うに困れば一つ出演してみるかなどと思うも、あまりぞっとしない。この場合、「ぞっとする」と書いても意味合いは異なるとはいえ文意はちゃんと通るのが面白いところで、とはいっても「ぞっとしない」とした方がより倦怠的で今の気分にはあっている。ところで市松人形を抱えた車椅子の老婆というのはただの思いつきでなく、実際にぼくが見た光景で、あまりにぞっとしたので、いづれどこかで使ってやろうと思ったいるのだが、あまりにイメージが強烈で未だに使う機会がない。この場合は「ぞっとする」でないと意味が通らない。喪服の女が五六人連れだって歩いていたというこちらの方はただの思いつきで、実際に歩いていたのは喪服姿の家族連れだった。ふたりいる子どもの男の子の方がなにやら機嫌を損ねてしまっていたようで母親が歩きながらずっと宥めていた。父親に手を引かれた幼い妹の方がよほど大人しく、まだ人の死などよく解からない年齢だろうに、妙に神妙な顔つきをしていた。いや、しかし人の死が解るなんてことは一体どういうことなのだろう。母親の葬儀に立ち会う自分を想像してみたが、さしたる感慨は湧かなかった。寧ろ自分が棺おけにはいっている姿の方がよほど自然だった。そんなことをつらつら考えながら西陣京極を抜けると、目の前をいやに大きな黒い猫が横切った。ああ、なんてありきたりなんだと思うも、ほんとうのことなのだからしかたがない。


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