かはたれ 03/10/25
夕暮れ時のいつもと何にも変わらぬ帰り道のはずなのだが何かが気に障ってしかたない。
舗装されたアスファルト路面の上を走る車がないのはいつものことでその寂れた様子は路地とでもいった方がぴたりとくるような薄暗い道にはいつもと何も変わりはない。
車の往来がまるでない代わりに人通りは結構あって、今もほら横を自転車が通り抜けていく。その背中を後ろから見遣りながらはたと気が付く。そういえば今日は先程からずっと人の背中しか見ていない。道を行き交う人々は割合と多いのにも関わらず、私は誰の顔もまるきり見てはいないのだ。今、通り過ぎたばかりの脇道に見えた人影も、こちらに背を向け向こう側に去っていく途中で、目の前を歩いている男も、まるでこちらに顔を見せまいと大きな背中に顔を埋めるように歩いている。ここは一つ追いついて顔を覗き込んでやろうと歩調を速め、ほら、もう追いつく。してやったりと思い終わる前に、まるで消え去るように男は脇道に入ってしまった。いつも通る道のはずなのにそんな脇道があることなどまるで知らなかった私は思わず唖然と細道に消え往く男の背中を見送った。
何か寒々とした心地になって、これは意地でも誰かの顔を覗き込んでやろうと決意すると、だどうだろう丁度良い具合にあちらの角から一人の男が姿を現した。先程の男と違って背のそう高くない細身のその男はいかにも無防備に見え、追いつくのも安易に思えなどと思っているうちに追いついた。
思わずにやりとしながら顔を覗き込むと、男はどこにでもあるような何の変哲も無いありふれた顔立ちをしていて、何を期待していたのか何故だかがっかりする。
いや、待て。
と、男をすっかり追い抜いてしまってから思い直す。あの男の顔には見覚えがある。そう思ってよくよく思い出そうとするのだが、どうしたことか先程見たばかりの顔がまるで思い出せない。まるで思い出せないのに何故だか確信めいた思いがひらめく。そうだ。あれは私自身の顔に違いない。それはもう揺ぎ無くそう思うだが自分自身の顔もまるで思い出せず思わず掌で顔を撫で回す。べつにぬっぺらぼうという訳でもなくちゃんと目鼻はついていて、何処にもおかしなところはない。もう一度男の顔を確認すれば良いのだとぱっと振り向いてみたが先程の男はもう既におらず見知らぬ女がこちらに背を向け反対側に去っていくところだった。
何も焦ることはなく家に帰ってとっくり鏡を見ればよいのだと思うのだが、はてさて自分の家が一体どこにあるのかまるきり解らなくなっているから不思議だ。
道はいつもと変わらぬはずで、いやいやそういえば、いつもとは一体いつからいつのことなのだろう。いつも通る道というからにはいつも通う何処かがあらねばならないはずなのだけれど、それもまるで判然としない。
解ることといえば、自分はいつもこの道を行き来していて、帰りはいつも夕暮れ時だとただそれだけでもうまるで面妖としかいいようがない。
ふと、この道から外れてみればどうなるのかと思うのだがそれが何かとてつもない冒険のように思えるから不思議だ。
いつのまにか先程の男と似た姿が、いやいやそれは先程の男当人に違いなくあの草臥れた背広の背中には確かに見覚えがある。何の不思議なことはなく色々考え込んでいたせいで追い抜かれていたのに気が付かなかっただけのことだったのだ。
私は再び追いつこうと歩調を速めるのだが、男はまるで誘い込むかのように脇道へと逸れた。思わず立ち止まると、相変らず道を外れることに葛藤を覚えるのだがどうにか意を決して男の後を追う。道はまさに路地と呼ぶに相応しい細道で街灯すらまるで燈っておらず勿論見覚えがあるはずもない。
男の姿はもう見えなくなってしまっていて、私は慌てて駆け出してしまっていた。しかし駆けても駆けても男に追いつくことは出来ず遂に街灯がポツリと燈る袋小路に突き当たってしまう。
そこには粗大ゴミらしい箪笥やソファやが色々放置されていて今ではまるで見かけないような古い大型テレビの上に一匹の真っ白な猫がまどろんでいた。私はもうまるでしかたなく猫を見詰めているとしばらくして猫は気付いたようで私を見上げると「にゃーう」と鳴いた。
嗚呼、その声は私自身の声に相違ないと何故だか確信するのだが勿論のこと私は猫ではない。その証拠にほら人の声が、と声を出そうとするのだが、どうしたことかパクパク口が動くだけでまるきり声が出ない。
ふと思いたってテレビのスイッチをカチっと捻ってみるのだが勿論のことつきはしない。それでも、ブラウン管に私の顔が写り込みはしないかとじっと見詰めるのだけれど薄気味悪い黒い影が映りこんでいるだけでまるで用を為さない。
また猫が「にゃーう」と鳴きそれは私の声に違いないのだと再び強く思うのだが自分自身の顔についてはまるで思い出せでいるから遣る瀬が無くてしかたない。
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